どうも~、皆さん、お元気ですかー? 風間官房長官でーす。
ネット上で右翼のような頭の悪い発言をする輩、ネトウヨでーす。
劣等民族で、スミマセン(笑)
高等民族であらせられる左翼さん・リベラルさんには、とてもかないません(笑)
さて。
もう、3回目か4回目になるかもしれないが、過去記事を再掲示しておきたいと思ふ。
私の思い・願いを込めたつもりの記事だから。。。
2023.6.19に初アップした記事。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読書の話。読書案内をしたいと思ふ。
この4月から5月にかけて、蔵書を整理した。
6,000冊くらいあった内、2,000冊ほどを廃棄して4,000冊程度まで圧縮した。
整理していると、ついつい、手にした本を読み始めてしまい、なかなか作業が進まないときがあった。まぁ、本の整理に限らず、写真・アルバムを整理するときなんかも、そーゆーこと、あるよね。
で、私は、2019年頃までは左翼をやっていたので、蔵書は、そっち系のモノが圧倒的に多い。保守・右派に転向した今、左翼本などとゆーモノは全部捨ててもいいのでは。と思ったけれど、読み直してみると、これがなかなかね、捨てがたいモノがあるわけで。
で、今回、「これ、保守・右派の人にも読んでもらいたいなぁ」というのを3冊、ピックアップして紹介してみたい。党派的なモノ、左翼主張そのもの的なモノ、は外したつもり。なんつーか、保守・右派であろうとも、こーゆー感覚、事実、事件は持っておいてもらいたい、知っておいてもらいたい、という視点からセレクトしてみたので、ぜひ、参考にしていただければ幸いである。
それでは、レッツ・ゴーしてみましょうか。
①空想から科学へ社会主義の発展
(フリードリッヒ・エンゲルス著、大月書店)
「なんじゃい、社会主義の本かい! んなもん、読めんわ!」と、頭から否定・拒否しないでいただきたい。確かに、空想的社会主義として始まったものが、思想家の鍛錬を経て科学的社会主義に発展してきた過程を説明する内容であるのだが、政治本ではなく、「唯物論哲学の入門書」である、というのが私の受け止めである。唯物論というと、これまた忌避する人がいるかもしれないが、唯物論的素養は、保守・右派でも、というか、すべての現代人が、生活のベースに持っていたほうがいい哲学思想だと思う。てか、唯物論でないと、科学、化学、物理その他諸々、現実世界における事象、説明できないよ、当たり前のことだけど(笑)
エンゲルスは、文章がうまい。
私が「ここ、この本の肝だよね」と思っている部分を抜き出しておきたいと思う。
****************************************
これらの新しい事実にせまられ、これまでの歴史の全体が新しく研究しなおされるようになった。そしてその結果、次のようなことが明らかになった。すなわち、これまでのすべての歴史は、原始状態をべつにすれば、階級闘争の歴史であったということ、社会のなかのこれらのたがいに闘いあう諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係との、一言でいえば経済的諸関係の産物であるということ、したがって、社会のそのときどきの経済的構造が現実の土台をなしているのであって、それぞれの歴史的時期の法的および政治的諸制度や、宗教的、哲学的、その他の見解から成っている上部構造の全体は究極においてこの土台から説明されるべきあるということが明らかになった。ヘーゲルは歴史観を形而上学から解放して、これを弁証法的なものにした、――しかし彼の歴史観は本質的に観念論的なものであった。いまや観念論は、その最後の隠れ場所であった歴史観から追い出されて、唯物論的な歴史観があたえられた。そして、これまでのように人間の存在をその意識から説明するのではなく、人間の意識をその存在から説明する道が見いだされたのである。
こういうわけで、いまでは社会主義は、もはやあれこれの天才的な頭脳の持ち主の偶然的な発見物としてではなく、歴史的に成立した二つの階級、プロレタリアートとブルジョアジーとの闘争の必然的な産物として、現れたのである。社会主義の課題は、もはや、できるだけ完全な社会体制を完成することではなくて、これらの階級とその対立抗争を必然的に発生させた歴史的な経済的な経過を研究し、この経過によってつくりだされた経済状態のうちにこの衝突を解決する手段を発見することであった。
・・・・・・・
・・・・・・・
唯物史観は、次の命題から出発する。すなわち、生産が、そして生産の次にはその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であるということ、歴史上に現れたどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分への社会の編成は、なにがどのようにして生産され、また生産されたものがどのように交換されるかによって決まるということ、である。この見地からすれば、いっさいの社会的変動と政治的変革の究極の原因は、人間の頭のなかにではなく、つまり人間が永遠の真理や正義をますます認識してゆくことにではなく、生産と交換の様式の変化に求めなければならない。つまり、それは哲学にではなく、その時代の経済に求めなければならない。
****************************************
ここまで書いていて、唯物論の入門・基礎ということであれば、同じくエンゲルスの『フォイエルバッハ論』というのもあるなぁ、こっちも重要だよなぁ、と思ってしまった。キリがないのだが、同書からも少しだけ引いておく。
****************************************
思考と存在との、精神と自然との関係という問題、哲学全体のこの最高の問題は、こういうわけで、すべての宗教におとらず、人類の野蛮時代の無知蒙昧な観念のうちに根をもっている。しかし、この問題は、ヨーロッパ人がキリスト教的中世のながい冬眠からめざめたのちにはじめて十分に明確な形で提出され、完全な意義を獲得することができるようになったのである。もっとも、存在に対する思考の地位という問題は、中世のスコラ哲学においても大きな役割を演じており、根源的なものはなにか、精神か自然か、というこの問題は、尖鋭化して、教会にたいしては、神が世界を創造したのか、それとも世界は永遠の昔から存在しているのか、というところまでいきついた。
この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然にたいする精神の根源性を主張し、したがってけっきょく何かの種類の世界創造をみとめた人々は・・・・・・・観念論の陣営を作った。自然を根源的なものと見なした他の人々は、唯物論のさまざまな学派にはいる。
観念論と唯物論というこの二つの表現には、もともと、右に述べた以外の意味はない。
****************************************
『空想から科学へ』、『フォイエルバッハ論』、たぶん大月書店からはもう出ていないと思うので(古本ベースならあるかな?)、岩波文庫で出ているのを購入すればよかろう。
では、次へ、イってみよう。
②「あふれる愛」を継いで
~米軍ジェット機が娘と孫を奪った~
(土志田勇著、七つ森書簡、2005年9月)
「横浜米軍機墜落事件」として知られる、というか、もう忘れかけられている悲惨な事件・事故があった。
帯の裏書きを引いておこう。
****************************************
米軍ジェット機が、娘和枝と幼い二人の孫の頭上に墜落してきたのは、昭和52(1977)年9月27日のことでした。(中略)私にとってあの米軍ジェット機墜落事故は思い出すのもおぞましい、できることなら記憶から抹消してしまいたい出来事です。けれども、二度とおなじ悲劇を繰り返さないためにも、そして必死で生きようとした和枝のためにも、目を背けず、語り継いでいくことが父親である私の使命だと思うのです。(「はじめに」より)
****************************************
本書の著者、土志田氏は、和枝さんの父親である。
私は、訪れたことはないのだが、横浜の「港の見える丘公園」に、「愛の母子像」というものが設置されている。これは、事故で亡くなった、和枝さんとその子ども(裕一郎くん3歳、康弘くん1歳)の像である。
事故のあらましはこうである。
〇1977年9月27日、厚木基地を離陸した直後の米海兵隊所属のファントム機が、火災を
発生して、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅街に墜落、炎上。
〇パイロット二人は緊急脱出してパラシュートで降下し、無傷。
〇米軍からの連絡を受けて出動した海上自衛隊ヘリコプターは、パイロット二人を救助
・回収して飛び去った。
〇陸上自衛隊の救難隊は出動準備はしたものの、「現地には消防が出動しているから、
まぁ、ええだろう」ということで、結局出動せず。
〇全身やけどの重傷者5人と軽症者4人が病院へ運ばれる。
〇28日、0時50分、裕一郎君(3歳)は、「パパ、ママ、バイバイ」とつぶや
きながら死去
〇同日、4時30分、康弘君(1歳)は、「ポッポっぽー」と覚えたばかりの
鳩ポッポの歌を歌いながら死去。
〇二人の母親である和枝さん、全身大やけどで危篤状態に陥ったが持ち直し、命を留め
る。「子どもたちは自衛隊病院にいるよ。大丈夫だ」と伝えた。和枝さんに真実が伝
えられたのは、約1年半後、1979年1月であった。なぜ、1年半も伏せていたのか?
和枝さん自身が生きるか死ぬかの様態であり、そんなところへ子どもたちがすでに死
んだことを伝えたならば、和枝さん自身の生きる気力が一気に衰え、死が早まってし
まうことを懸念したからである。
〇和枝さんは、懸命に治療を続けるも、その過程で精神に異常を来し、夫との関係が悪化
して、離婚。
〇1982年1月、和枝さん、死去(31歳)
事故処理にやってきた米軍兵士が、集まった住民に向かって、ニヤニヤ笑いならがピースサインをしていて、それが米軍への非難に油を注いだ。これは、誰がどう見ても、許せないものであろう。
治療中、和枝さんの口から出た言葉が重すぎる。
「カーター大統領からファントムを1機もらおうかしら。そしてアメリカにそれを落としてやるの」
この本ね、マジで、涙なしには読めないよ。
本書を左翼本として紹介することが適切なのかどうか、私自身、迷いというか疑問がないわけではない。しかし、「左翼本」としてではないにしろ、「保守・右派」に読んでもらいたいと思うのは、「保守・右派」に、日米同盟・日米安保を重視するあまり、在日米軍の事故・犯罪を追及する姿勢に欠ける傾向がある、もっと言えば、事故・犯罪が発生したとき、在日米軍を庇う、擁護するような言論さえ発せられることがあるからである。いちいち具体例を細かく記載しないが、いつぞや、深夜に日本人女子が米軍関係者にレイプされるという事件が発生した際、「夜遅くに一人で歩いていた女が悪い」などとゆー言説が飛び交ったのは、その典型である。それは、アカン、絶対にアカン!
わが国にとって、日米同盟・日米安保は重要なものであることは論を待たないが、だからといって、米軍のしでかす犯罪・事故に寛容であってはならないと考える。絶対に、断固として。
むしろ、米軍というか、アメリカという国自体との付き合い全般においても、彼らに対しては、心のどこかで警戒心を持っておく必要があるかと思う。特に、アメリカ白人に対しては。
GHQの占領・支配が終わってから70年あまり経つわけだが、アメリカ白人たちの根底には、「日本人は黄色いサル」「日本人は遅れた民族」という意識がある、絶対にある。
直近の例で言えば、エマニュエル駐日大使の発言が、その典型であろう。LGBT法案が可決される方向にあり、時同じくして、どっかのバカ裁判長が「同性婚を認めていないのは違憲だ」と判決を出す、そうした流れを受けて、エマじじいは何と言ったか?
「日本は、今、進化の過程にある」
そう、彼奴らは、日本人のことを「サル」だと認識しているのである。「アメリカの進んだ思想、文化をもっと取り入れろ、そうすれば日本人はサルから人間になれるのだ!」ということである。
「日本人を舐めるな!
貴様のようなヤツは日本から出て行け!」
こうした声が沸き上がり、エマじじい追放運動が起こってもいいと思うのだが、ダメだね、全然、盛り上がらない。保守・右派の一部でそうした言論は出ているが、左翼・リベラルはだんまりだ。ヘタしたら、「エマさまぁ~、よくぞ言ってくれました~」くらいに思っているのではないか。
ありゃ、保守・右派に苦言を呈するつもりだったのが、左翼・リベラル批判になってしまった(笑)
では、次、ラスト、イってみよう。
③税が悪魔になるとき
(斎藤貴男・湖東京至対談、新日本出版社、2012年8月)
最近でこそ、保守・右派の間でも消費税減税を唱える言論が出ているが、かつて、消費税が導入されて、それが増税され来た段階ではどうであったろうか。その頃、私は左翼だったので、保守・右派の言論、とくに、経済分野に関してどのような言論が展開されていたのかは知らない。もし、保守・右派も当初から消費税に反対していた、というのであれば、本書を「保守・右派に読んでほしい本」として紹介することは的外れになるかもしれない。その場合は、ゴメンナチャイ、ということでよろしくお頼み申す(笑)
しかし、まぁ、消費税を「悪魔の税制」とまで規定して、強硬に反対する言論は、保守・右派界隈でもなかったのではないかと思う。
本書は、ド左翼ジャーナリストの斎藤貴男と元大学教授・税理士の湖東京至先生による、消費税反対の書である。
民主党政権の末期、2012年、民主党・自民党・公明党の間で行われた3党合意「消費税を5%から10%へ段階的に引き上げる」を受けて出版されたものである。3党合意とは言うが、最も責められるべきは、民主党野田政権であろう。そもそも、民主党政権自体が、「消費税増税などしない」=マニュフェストに一切そうした記載なし、ということで自民党から政権を奪って誕生したものである。それが、アレレ?という間に、野田政権になってから消費増税の方針が打ち出されたのである。当時の野田の周りにいたのが、今でも現役の菅直人であり、岡田克也であり、枝野幸男であり、安曇淳といった面々である。なので、その流れを組む立憲民主党には、消費税増税についての責任がMAX盛り盛りなのである。
そう言えば、枝野は、昨年、2022年11月、「(消費税5%への減税は)政策的に間違いだった。二度と減税は言わない」と表明したね。ちょちょちょ、えええぇ~ ということで、立憲内部、ひっちゃかめっちゃかに混乱した(笑)
じゃあ、だからと言って、自民党政権に期待できるのかと言えば、できない。少なくとも、彼奴らは、減税の声は出てこない。現状維持を言うのが精一杯である。2019年に消費税率が10%になったとき、安倍総理は、「(さらなる増税は)今後10年間くらいは必要がない」と言ったが、どうなることか、わかったものではない。安倍総理が存命であれば絶対通らなかった、いや、提起さえされなかったであろうLGBT法案が、ホイホイのホ~イで成立してしまったくらいだ。岸田政権は、安倍路線を崩し始めている、反故にしようとしている。そのうち、消費増税を言い出すに決まっている。
消費税が、いかにヤバい税金・税システムであるか、これは右も左も関係がない、知っておくべき、そして反対すべきモノであることを強く訴えるものである。
ネット上で右翼のような頭の悪い発言をする輩、ネトウヨでーす。
劣等民族で、スミマセン(笑)
高等民族であらせられる左翼さん・リベラルさんには、とてもかないません(笑)
さて。
もう、3回目か4回目になるかもしれないが、過去記事を再掲示しておきたいと思ふ。
私の思い・願いを込めたつもりの記事だから。。。
2023.6.19に初アップした記事。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読書の話。読書案内をしたいと思ふ。
この4月から5月にかけて、蔵書を整理した。
6,000冊くらいあった内、2,000冊ほどを廃棄して4,000冊程度まで圧縮した。
整理していると、ついつい、手にした本を読み始めてしまい、なかなか作業が進まないときがあった。まぁ、本の整理に限らず、写真・アルバムを整理するときなんかも、そーゆーこと、あるよね。
で、私は、2019年頃までは左翼をやっていたので、蔵書は、そっち系のモノが圧倒的に多い。保守・右派に転向した今、左翼本などとゆーモノは全部捨ててもいいのでは。と思ったけれど、読み直してみると、これがなかなかね、捨てがたいモノがあるわけで。
で、今回、「これ、保守・右派の人にも読んでもらいたいなぁ」というのを3冊、ピックアップして紹介してみたい。党派的なモノ、左翼主張そのもの的なモノ、は外したつもり。なんつーか、保守・右派であろうとも、こーゆー感覚、事実、事件は持っておいてもらいたい、知っておいてもらいたい、という視点からセレクトしてみたので、ぜひ、参考にしていただければ幸いである。
それでは、レッツ・ゴーしてみましょうか。
①空想から科学へ社会主義の発展
(フリードリッヒ・エンゲルス著、大月書店)
「なんじゃい、社会主義の本かい! んなもん、読めんわ!」と、頭から否定・拒否しないでいただきたい。確かに、空想的社会主義として始まったものが、思想家の鍛錬を経て科学的社会主義に発展してきた過程を説明する内容であるのだが、政治本ではなく、「唯物論哲学の入門書」である、というのが私の受け止めである。唯物論というと、これまた忌避する人がいるかもしれないが、唯物論的素養は、保守・右派でも、というか、すべての現代人が、生活のベースに持っていたほうがいい哲学思想だと思う。てか、唯物論でないと、科学、化学、物理その他諸々、現実世界における事象、説明できないよ、当たり前のことだけど(笑)
エンゲルスは、文章がうまい。
私が「ここ、この本の肝だよね」と思っている部分を抜き出しておきたいと思う。
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これらの新しい事実にせまられ、これまでの歴史の全体が新しく研究しなおされるようになった。そしてその結果、次のようなことが明らかになった。すなわち、これまでのすべての歴史は、原始状態をべつにすれば、階級闘争の歴史であったということ、社会のなかのこれらのたがいに闘いあう諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係との、一言でいえば経済的諸関係の産物であるということ、したがって、社会のそのときどきの経済的構造が現実の土台をなしているのであって、それぞれの歴史的時期の法的および政治的諸制度や、宗教的、哲学的、その他の見解から成っている上部構造の全体は究極においてこの土台から説明されるべきあるということが明らかになった。ヘーゲルは歴史観を形而上学から解放して、これを弁証法的なものにした、――しかし彼の歴史観は本質的に観念論的なものであった。いまや観念論は、その最後の隠れ場所であった歴史観から追い出されて、唯物論的な歴史観があたえられた。そして、これまでのように人間の存在をその意識から説明するのではなく、人間の意識をその存在から説明する道が見いだされたのである。
こういうわけで、いまでは社会主義は、もはやあれこれの天才的な頭脳の持ち主の偶然的な発見物としてではなく、歴史的に成立した二つの階級、プロレタリアートとブルジョアジーとの闘争の必然的な産物として、現れたのである。社会主義の課題は、もはや、できるだけ完全な社会体制を完成することではなくて、これらの階級とその対立抗争を必然的に発生させた歴史的な経済的な経過を研究し、この経過によってつくりだされた経済状態のうちにこの衝突を解決する手段を発見することであった。
・・・・・・・
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唯物史観は、次の命題から出発する。すなわち、生産が、そして生産の次にはその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であるということ、歴史上に現れたどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分への社会の編成は、なにがどのようにして生産され、また生産されたものがどのように交換されるかによって決まるということ、である。この見地からすれば、いっさいの社会的変動と政治的変革の究極の原因は、人間の頭のなかにではなく、つまり人間が永遠の真理や正義をますます認識してゆくことにではなく、生産と交換の様式の変化に求めなければならない。つまり、それは哲学にではなく、その時代の経済に求めなければならない。
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ここまで書いていて、唯物論の入門・基礎ということであれば、同じくエンゲルスの『フォイエルバッハ論』というのもあるなぁ、こっちも重要だよなぁ、と思ってしまった。キリがないのだが、同書からも少しだけ引いておく。
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思考と存在との、精神と自然との関係という問題、哲学全体のこの最高の問題は、こういうわけで、すべての宗教におとらず、人類の野蛮時代の無知蒙昧な観念のうちに根をもっている。しかし、この問題は、ヨーロッパ人がキリスト教的中世のながい冬眠からめざめたのちにはじめて十分に明確な形で提出され、完全な意義を獲得することができるようになったのである。もっとも、存在に対する思考の地位という問題は、中世のスコラ哲学においても大きな役割を演じており、根源的なものはなにか、精神か自然か、というこの問題は、尖鋭化して、教会にたいしては、神が世界を創造したのか、それとも世界は永遠の昔から存在しているのか、というところまでいきついた。
この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然にたいする精神の根源性を主張し、したがってけっきょく何かの種類の世界創造をみとめた人々は・・・・・・・観念論の陣営を作った。自然を根源的なものと見なした他の人々は、唯物論のさまざまな学派にはいる。
観念論と唯物論というこの二つの表現には、もともと、右に述べた以外の意味はない。
****************************************
『空想から科学へ』、『フォイエルバッハ論』、たぶん大月書店からはもう出ていないと思うので(古本ベースならあるかな?)、岩波文庫で出ているのを購入すればよかろう。
では、次へ、イってみよう。
②「あふれる愛」を継いで
~米軍ジェット機が娘と孫を奪った~
(土志田勇著、七つ森書簡、2005年9月)
「横浜米軍機墜落事件」として知られる、というか、もう忘れかけられている悲惨な事件・事故があった。
帯の裏書きを引いておこう。
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米軍ジェット機が、娘和枝と幼い二人の孫の頭上に墜落してきたのは、昭和52(1977)年9月27日のことでした。(中略)私にとってあの米軍ジェット機墜落事故は思い出すのもおぞましい、できることなら記憶から抹消してしまいたい出来事です。けれども、二度とおなじ悲劇を繰り返さないためにも、そして必死で生きようとした和枝のためにも、目を背けず、語り継いでいくことが父親である私の使命だと思うのです。(「はじめに」より)
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本書の著者、土志田氏は、和枝さんの父親である。
私は、訪れたことはないのだが、横浜の「港の見える丘公園」に、「愛の母子像」というものが設置されている。これは、事故で亡くなった、和枝さんとその子ども(裕一郎くん3歳、康弘くん1歳)の像である。
事故のあらましはこうである。
〇1977年9月27日、厚木基地を離陸した直後の米海兵隊所属のファントム機が、火災を
発生して、横浜市緑区(現・青葉区)の住宅街に墜落、炎上。
〇パイロット二人は緊急脱出してパラシュートで降下し、無傷。
〇米軍からの連絡を受けて出動した海上自衛隊ヘリコプターは、パイロット二人を救助
・回収して飛び去った。
〇陸上自衛隊の救難隊は出動準備はしたものの、「現地には消防が出動しているから、
まぁ、ええだろう」ということで、結局出動せず。
〇全身やけどの重傷者5人と軽症者4人が病院へ運ばれる。
〇28日、0時50分、裕一郎君(3歳)は、「パパ、ママ、バイバイ」とつぶや
きながら死去
〇同日、4時30分、康弘君(1歳)は、「ポッポっぽー」と覚えたばかりの
鳩ポッポの歌を歌いながら死去。
〇二人の母親である和枝さん、全身大やけどで危篤状態に陥ったが持ち直し、命を留め
る。「子どもたちは自衛隊病院にいるよ。大丈夫だ」と伝えた。和枝さんに真実が伝
えられたのは、約1年半後、1979年1月であった。なぜ、1年半も伏せていたのか?
和枝さん自身が生きるか死ぬかの様態であり、そんなところへ子どもたちがすでに死
んだことを伝えたならば、和枝さん自身の生きる気力が一気に衰え、死が早まってし
まうことを懸念したからである。
〇和枝さんは、懸命に治療を続けるも、その過程で精神に異常を来し、夫との関係が悪化
して、離婚。
〇1982年1月、和枝さん、死去(31歳)
事故処理にやってきた米軍兵士が、集まった住民に向かって、ニヤニヤ笑いならがピースサインをしていて、それが米軍への非難に油を注いだ。これは、誰がどう見ても、許せないものであろう。
治療中、和枝さんの口から出た言葉が重すぎる。
「カーター大統領からファントムを1機もらおうかしら。そしてアメリカにそれを落としてやるの」
この本ね、マジで、涙なしには読めないよ。
本書を左翼本として紹介することが適切なのかどうか、私自身、迷いというか疑問がないわけではない。しかし、「左翼本」としてではないにしろ、「保守・右派」に読んでもらいたいと思うのは、「保守・右派」に、日米同盟・日米安保を重視するあまり、在日米軍の事故・犯罪を追及する姿勢に欠ける傾向がある、もっと言えば、事故・犯罪が発生したとき、在日米軍を庇う、擁護するような言論さえ発せられることがあるからである。いちいち具体例を細かく記載しないが、いつぞや、深夜に日本人女子が米軍関係者にレイプされるという事件が発生した際、「夜遅くに一人で歩いていた女が悪い」などとゆー言説が飛び交ったのは、その典型である。それは、アカン、絶対にアカン!
わが国にとって、日米同盟・日米安保は重要なものであることは論を待たないが、だからといって、米軍のしでかす犯罪・事故に寛容であってはならないと考える。絶対に、断固として。
むしろ、米軍というか、アメリカという国自体との付き合い全般においても、彼らに対しては、心のどこかで警戒心を持っておく必要があるかと思う。特に、アメリカ白人に対しては。
GHQの占領・支配が終わってから70年あまり経つわけだが、アメリカ白人たちの根底には、「日本人は黄色いサル」「日本人は遅れた民族」という意識がある、絶対にある。
直近の例で言えば、エマニュエル駐日大使の発言が、その典型であろう。LGBT法案が可決される方向にあり、時同じくして、どっかのバカ裁判長が「同性婚を認めていないのは違憲だ」と判決を出す、そうした流れを受けて、エマじじいは何と言ったか?
「日本は、今、進化の過程にある」
そう、彼奴らは、日本人のことを「サル」だと認識しているのである。「アメリカの進んだ思想、文化をもっと取り入れろ、そうすれば日本人はサルから人間になれるのだ!」ということである。
「日本人を舐めるな!
貴様のようなヤツは日本から出て行け!」
こうした声が沸き上がり、エマじじい追放運動が起こってもいいと思うのだが、ダメだね、全然、盛り上がらない。保守・右派の一部でそうした言論は出ているが、左翼・リベラルはだんまりだ。ヘタしたら、「エマさまぁ~、よくぞ言ってくれました~」くらいに思っているのではないか。
ありゃ、保守・右派に苦言を呈するつもりだったのが、左翼・リベラル批判になってしまった(笑)
では、次、ラスト、イってみよう。
③税が悪魔になるとき
(斎藤貴男・湖東京至対談、新日本出版社、2012年8月)
最近でこそ、保守・右派の間でも消費税減税を唱える言論が出ているが、かつて、消費税が導入されて、それが増税され来た段階ではどうであったろうか。その頃、私は左翼だったので、保守・右派の言論、とくに、経済分野に関してどのような言論が展開されていたのかは知らない。もし、保守・右派も当初から消費税に反対していた、というのであれば、本書を「保守・右派に読んでほしい本」として紹介することは的外れになるかもしれない。その場合は、ゴメンナチャイ、ということでよろしくお頼み申す(笑)
しかし、まぁ、消費税を「悪魔の税制」とまで規定して、強硬に反対する言論は、保守・右派界隈でもなかったのではないかと思う。
本書は、ド左翼ジャーナリストの斎藤貴男と元大学教授・税理士の湖東京至先生による、消費税反対の書である。
民主党政権の末期、2012年、民主党・自民党・公明党の間で行われた3党合意「消費税を5%から10%へ段階的に引き上げる」を受けて出版されたものである。3党合意とは言うが、最も責められるべきは、民主党野田政権であろう。そもそも、民主党政権自体が、「消費税増税などしない」=マニュフェストに一切そうした記載なし、ということで自民党から政権を奪って誕生したものである。それが、アレレ?という間に、野田政権になってから消費増税の方針が打ち出されたのである。当時の野田の周りにいたのが、今でも現役の菅直人であり、岡田克也であり、枝野幸男であり、安曇淳といった面々である。なので、その流れを組む立憲民主党には、消費税増税についての責任がMAX盛り盛りなのである。
そう言えば、枝野は、昨年、2022年11月、「(消費税5%への減税は)政策的に間違いだった。二度と減税は言わない」と表明したね。ちょちょちょ、えええぇ~ ということで、立憲内部、ひっちゃかめっちゃかに混乱した(笑)
じゃあ、だからと言って、自民党政権に期待できるのかと言えば、できない。少なくとも、彼奴らは、減税の声は出てこない。現状維持を言うのが精一杯である。2019年に消費税率が10%になったとき、安倍総理は、「(さらなる増税は)今後10年間くらいは必要がない」と言ったが、どうなることか、わかったものではない。安倍総理が存命であれば絶対通らなかった、いや、提起さえされなかったであろうLGBT法案が、ホイホイのホ~イで成立してしまったくらいだ。岸田政権は、安倍路線を崩し始めている、反故にしようとしている。そのうち、消費増税を言い出すに決まっている。
消費税が、いかにヤバい税金・税システムであるか、これは右も左も関係がない、知っておくべき、そして反対すべきモノであることを強く訴えるものである。
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