ハマスが、人質全員を釈放するかも、てか。

 あのな、釈放して当たり前の話だろ、遅すぎる、っちゅーの!
 んなもん、褒めたり、肯定的に評価する話ではない!

 ごきげんよう、風間官房長官です。
 ネット上で右翼のような頭の悪い発言をする輩、ネトウヨです。
 劣等民族で、申し訳ございません。
 高等民族であらせられる左翼さん・リベラルさんには、とてもかないません。
 でも、列島民族でよかったと思ってます。
 だって、大陸民族、半島民族って、最低、最悪のクソじゃないですか(笑)

 ハマス。
 完全武装解除しないのであれば、殲滅あるのみ! わかっとんのか、ボケっ!
 ハマスを完全せん滅
 ええやん、ハマス殲滅

 さて。

 栗原はるみさん、の件であるが。

 先日、日経新聞に、ちょっといい記事、てゆーか、「う~ん、ツライよねぇ」と涙を誘われるような記事があったので、皆さんと情報を共有しておきたいと思ふ。

 同紙 2025.9.27 、「食の履歴書」から引いておく。

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 の履歴書
 「おいしいね」が聞けなくて 料理家・栗原はるみさん
 栗原はるみ
   最愛の人を失った時、人はいつ悲しみを乗り越えられるのか。
   料理家の栗原はるみさん(78)は、6年前に夫の玲児さん(85歳没)
   をみとり、この問いと向き合い続けている。乗り越えたいと取り組ん
   でいるのが、「ひとりご飯」のレシピを考えることだ。

 「おいしいね」が聞けない喪失感で、ふと気持ちが沈む時がある。46年連れ添った夫をみとったのは、6年前のこと。「ひとりを楽しまなきゃ」と仕事に打ち込み、さみしい道に入り込まないように心がけているが、まだ制御しきれない時がある。

 「本当にイヤになっちゃう。愛と依存って難しい。こんなに自分がさみしがりとは」。相手が深刻に受け止めないように、明るく本心を明かす。

 夫が肺がんを患い、2019年夏、最期まで自宅でみとった。人はいつか亡くなる。このことは理解していたはずなのに、喪失感は壮絶だった。眠れず、食欲がわかず、体重は5キロ減り、泣きすぎて顔が変わった。心配で見守ってくれた息子から「抜け殻みたい。おやじに依存していたんだね」と言われ、はっとした。

 実家は伊豆の下田で印刷屋を営んでいた。温厚な父と料理好きの母、優等生の兄との4人家族。料理は母から学んだ。和食中心で身近な旬の食材を丁寧に使い、ひと工夫加えられていた。例えば、レバー入りヒジキのゴマ風味。ゴマは必ず煎って、すり鉢をあてていた。

 21歳の時、下田の別荘に遊びに来ていた夫と恋に落ちた。彼は料理上手で、カトラリーを並べ、丸鶏のオーブン焼きなどを作ってくれた。

 両親は「1+1が2」の人生を歩む堅実な人だった。一方、彼はテレビキャスターで離婚歴があった。当初、両親は娘を大切にしてくれるか案じて、結婚に大反対した。

 人生で初めて親に反抗して26歳で結婚した。心を動かされた彼の言葉は、今でも忘れない。「1+1がマイナスにも5にもなったりするのが、人生じゃない?」
 栗原はるみ 2
 子どもを授かり、古風な母がしていたように夫の帰りを待っていた。すると夫は「僕を待つだけの女の人にならないで」と言った。その言葉が料理家へと導いてくれた。

 36歳の時にテレビの料理番組の裏方として働き始め、代表作「ごちそうさまが、ききたくて。」(文化出版局)がミリオンセラーになった。夫から習ったビーフシチューなどの洋食、母直伝のサバのそぼろなどが「簡単なのにおいしい」「料理も器もおしゃれ」と幅広い支持を得た。

 人と比べず、おいしさの再現性が高く簡単に作れるレシピを追求してきた。試作は数十回、百回と行い、発表後も改良を重ねる。初心者や料理が苦手な人にこそ、料理を好きになってほしいという願いを原動力にしてきた。

 プロ意識を育んでくれたのは料理本の読者と夫の意見だ。夫はおいしければ「ベリーグッド」「まこといい」。ダメな時は「まずい!」と率直に言ってくれた。

 「遅くまでおつかれさま。楽天田中、負けたのでふて寝する」「はるみ殿、全部とてもおいしかった。食べ過ぎるのが困るね」。仕事で遅くなった時に、夫はキッチンにこんな置き手紙もしてくれた。

 「バリバリ仕事をしているから自分のことを自立した人間だと思っていた。でもそうじゃなかった」

 22年、人生最後の雑誌と決めてパーソナルマガジン「栗原はるみ」(講談社)を創刊した。「さみしさで心が弱っても、これなら元気がわく」と空想しながら、ひとりご飯のレシピを考案している。

 例えば、冷凍ご飯をおいしく解凍して食べる方法や、天ぷら粉を使いふわふわサクサクに仕上がり、ひとりご飯でも食べ応えがあって満たされるエビフライなどだ。納得できるものになれば、最終章をどう過ごしたかのエッセーも添えて、レシピ本を出版したいと考えている。

 ギターも習い始め、愛猫の「もやし」が家族に加わった。子や孫たち、友人、仕事に恵まれ、本当に良い人生を生きていると感じる。でもやっぱり、夫がいないことだけは、悔しくて仕方ない。経験して初めてわかった。

 ずっと「大切なことは、過去ではなく今とこれから」と思って生きてきた。乗り越えられるのかは、正直まだ分からない。でもきっといつか。
                               文 山内深紗子
                               写真 三浦秀行
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 ネトウヨ、56歳。

 妻、54歳。

 まぁ、普通にいけば、ネトウヨが先に死ぬ、のだろう。

 しかし、である!
 ちょいちょい、機会があるたびに書いていることだが、はね、ちょっと、てゆーか、かなり「足りない」子、なのである。ネトウヨがいなくなったら、生きていけないマジ、ほんま、正味の話ね。

 なので、ネトウヨは決めたのである。

 より長く生きる。ネトウヨを見送る。

 ただね、決めたはいいけれども、もし、本当にその場面が来たら、が先に亡くなったら、「喪失感で、ふと気持ちが沈む」ことになるのだろう。

 たまんないだろうねぇ。どーなっちゃうんだろう?

 乗り越えて、最期まで、生きていけるのだろうか?

 正直、この類のテーマを考えていると、答えがなくて、ただただ、心を擦り減らすだけ、のような感じもするのだけど、でも、避けていられないもんねぇ。

 この栗原はるみさんの記事を読んだり、他にいろいろ読んだりして、ネトウヨが、現時点で、思っていること。

 必ずしも乗り越えなくてもいい、のではないか。

 これが最終到達点、というわけではなく。これからも、考え続ける、思い続けていくことになるのだろう。

 まだ先のことかもしれないが、いつか確実に到来する、愛する人との死別について、皆さんは、どうのように考えておられるのだろうか?

 栗原はるみ 3

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